特別篇第2弾 アンソロジー参加

新聞に載らない小さな事件〈vol.2〉日常万事塞翁が馬

新聞に載らない小さな事件〈vol.2〉日常万事塞翁が馬

更新が遅れたので、発表も遅れたけれど、私も参加しているアンソロジーである。コンテストの入賞者を中心に全74名が参加している。

タイトルどおり「新聞に載らない」けれど、人々の日々の暮らしの中には本当にさまざまな「事件」が絶えず起こっているものだと知れされる。思い当たることも多く、笑ったり涙ぐんだりしながら、人生捨てたものではないと、そんな風に思えるものになっているのではないだろうか。

月みる月

ルナティックス - 月を遊学する (中公文庫)

ルナティックス - 月を遊学する (中公文庫)

中秋の明月ということで、月の本を一冊。

月球派を自認する松岡正剛による「月の百科全書」である。今回文庫化されたので手にしてみた。ここには月に関する古今東西資料があらゆる角度から集められていると言っていい。月の出現に関する説であったり、月と潮の干満であったり、俳句や短歌であったり、神話であったり…、それを「編集者」松岡正剛が、いつもどおりのスピード感あふれる力強い文章でまとめ上げている。

「月球感覚の衰退に、自由と想像力の減退を嗅ぎ取った」と言われる筆者は、「断固として非生産的な夜陰の思索に耽る」ことを宣言し、「太陽はみるからに野暮ではないか!」と「太陽族」に挑戦状を叩きつける。目に明らかなものだけを信頼しすぎる危うさを思い、怪しげな想像の翼を広げて闇を飛び回る…、秋の夜長、そんな一夜があってもよい。

ほら、あれ、何て言うんだっけ

アレ何?大事典

アレ何?大事典

恥ずかしい文章を書きたくないので、まだ最近のことだが、辞典・事典・字典の類は多く手元に置くようにしている。その中でも異彩を放つのがこの一冊である。
タイトルどおりに物の名前の事典である。ああ、あれ、ほら、あれ何て言うんだっけ…と、その物の存在は多くの人がよく知っているが、その名前はと聞かれるとちょっと思い浮かばない…、そんなものの正式名称とそれにまつわる知識が単語集のようにページの表にその物の表示、裏側に名前と説明という形で表示されている。
たとえば、
「果物に巻いてある白いネット」は、「フルーツキャップ」というのだそうで、ポリエチレンで造られている「農業用緩衝材」であって、最大のシェアを誇る工場はやはりフルーツ大国岡山にあって、今や人間の三倍のスピードで果物にキャップをかける機械もあること、ミカンなどにかける赤いネットは「棒ネット」という
のだそうである。
取り上げられている物は250種以上、日用品やよく目にする記号やマークからナポレオンの帽子やフランシスコザビエルの髪型までとバラエティーに富んでいる。
知っていて何かの役に立つかというと、ちょっと首を傾げざるを得ない、いわば「トリビア」ではあるが、その物の簡潔な表現と、正式名称の意外な堅苦しさや、拍子抜けするような安易な命名が面白くてつい読んでしまう、引く事典ではなく、読む事典である。

特別編・私のデビュー作!

聞こえるように

聞こえるようにひとりごと

聞こえるようにひとりごと

3月25日発売予定で準備中の私の処女作である。日常雑記というべきエッセイ(出版社の表記にしたがってこう記載することにする)集になっている。原稿用紙にして3枚程度の短編9編と15枚程度の作品1編からなっている。
帯には、かつてカルチャーセンターで指導してくださった師匠(わずかな期間のことだけれど、それだけで私としてはすっかり弟子になった気分になってしまっている)の林望先生の推薦文もいただいている。
エッセイはいずれも自分の日常を切り取ったもので、誰にでも経験があるようなことが多いと思う。だから、気軽に多くの方に読んでいただけたら幸いである。

一葉ブームの中で

樋口一葉と十三人の男たち (プレイブックス・インテリジェンス)

樋口一葉と十三人の男たち (プレイブックス・インテリジェンス)

五千円札に登場して以来、一葉ブームが続いているようだ。先日その生涯を描いたテレビドラマを見ていて、非常に物足りなさを感じてしまって、最近出版の二冊を立て続けに読んだ。

『…十三人の男たち』は文字通り、一葉との関わりの深かった男性たちとのやりとりの中から一葉の姿を浮かび上がらせる。二十四歳という若さで亡くなったことを考えると、彼女の人を見る目の冷静さ、したたかさに驚かされる。彼女が誰かに本当に心を許したことはあったのだろうか。やはり桃水の存在は気にかかるが…。
実はテレビドラマで気になっていたのは、森鴎外が一葉を訪ねた場面があったことだった。おかしいんじゃないかと思ったが、この一冊で解決した。一葉を訪ねたのは斎藤緑雨だった(一葉の日記にあたって調べたわけではないけれど、これなら納得できるのである)。彼の一葉への思い入れの深さはちょっとばかり不思議である。私なら少々気味が悪いようにも思う。

『…「いやだ!」と云ふ』は、江戸ものの著作が多い著者が、江戸から近代への境に一葉を位置づけてその代表作五編『大つごもり』『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』『わかれ道』を読み解く中から、登場人物に一葉らを重ねて、女性にとって極めて窮屈な時代を生きた一葉の姿を描き出す。
玉の輿に乗る以外に「出世」の道がない明治の女性の生き方に、小説の中で「いやだ!」と叫び続けた一葉がそこに見えて来る。しかし、そこに現れたのは、一葉の姿だけではなく、著者のスタンスであり、現代に生きる私たち自身の姿でもあった。枠をはめられたような毎日にただ流されて行くのではなく、「いやだ!」と叫んで自己主張することは、現在でも案外に難しく、しかし大切なことのように思えて来る。

百人一首に籠められたもの

QED 百人一首の呪 (講談社文庫)

QED 百人一首の呪 (講談社文庫)

百人一首はなぜこのような選歌になったのか?名歌が漏れているし、それほどとも思われないものが入っている。そこに選者の特別の意図を読み取ろうとする者は多い。私もその謎に捕らわれていた。いや、今も完全に抜け出したわけではない。

百人一首藤原定家によって編まれたものであることは、今ではまず動かない。極めて技巧派であり、高い美意識の持ち主である定家の選歌としては納得がいかない。そして彼の日記である明月記に見える「用捨は心に在り。自他の傍難あるべからざるか」という頑なな態度が、選歌の際に特別な意図が働いていることを感じさせる。

織田正吉、林直道、大田明と、その謎を解いて見せたものは多いが、いずれもなるほどと思わせるが、こじ付けや矛盾点も見られる。そこでまた新しい説を求める…。それを追いかけるのが楽しいのだが、高田崇史のこの一冊は百人秀歌とも合わせて、きれいな歌物語の完成図を示す点で十分な満足が得られた。

ただし、これは実は推理小説である。百人一首は殺人事件の謎解きのキーになっているに過ぎない。それがちょっと残念な気がしてしまう。

読書日記再開

言葉の箱―小説を書くということ (中公文庫)

言葉の箱―小説を書くということ (中公文庫)

一時停止していた読書日記をようやく再開することにした。過去の日記も誤字など少し手を入れ、書籍情報付きでここに移すことができた。

これからは書く方にも力を入れたいが、今はまだ充電中である。

昨今の日本語ブームの中で、気になる書籍は多いが、その中で最も最近手にしたのが、この一冊である。

この中で語る辻邦生は非常に熱い。後輩たちへの強い愛情のこもったメッセージで溢れている。小説家になろうという人たちに対して語られたものだが、ジャンルを問わず、「物書き」であろうとする人であれば、心に止めておきたいメッセージばかりである。

ここのところ、客観的な表現ということばかり気にしていたが、自分のスタンスを確立し、自分にしか見えないものを書こうという姿勢の大切さに改めて気づかされたところである。