林望 『謹訳源氏物語』

さて,ここもずいぶん放置してしまった。
この間,両親の介護が深刻な状態となり,仕事との両立に苦しんで,自分も体調を崩した時期もあった。あの震災もあったし,父を自宅で看取った。
今も母の介護は続いているけれど,少しずつでもまた書いて行けたらと思う。

再開の第一弾として,3年半の月日を費やしてついに完結した林望の『謹訳 源氏物語』全10巻を紹介したい。

国文学者であり,かつ作家でもある林望であればこその,正確で,しかも非常に読み易い源氏物語の現代語訳である。

これまでも現代語訳はいろいろと出されてきたが,それでもなかなか全文を読破し,その内容を理解することにはかなりの困難があったと思う。

しかし,『謹訳』には,絶対的な読み易さがある。何と言っても「脚注」などがなく,和歌も含めて,内容の理解に必要な知識がすべて文章の中に溶け込ませてあるのだ。しかも,原文の過剰な敬語を廃してあるので,現代小説でも読むように,ほんとうにすらすら読めるのだ。

詳しくは祥伝社のサイトを見て頂きたいのだが,今回全10巻の完結を記念して,各地でサイン会&講演会なども行われる。

まず,6月21日(金)午後7時から丸善丸の内本店(100名限定)で,翌22日(土)午後3時からくまざわ書店相模大野店(50名限定)で行われるので,興味のある方は足を運ばれるとよいと思う。

謹訳 源氏物語 十

謹訳 源氏物語 十

オトモダチ感覚で清少納言に迫る

枕草子REMIX (新潮文庫)

枕草子REMIX (新潮文庫)

枕草子』そのものではなく,そのエッセンスだけを,「千歳違い」の清少納言とすっかり意気投合した酒井順子が,原文の章立てなども取り払い,新たな項目立てでさまざまなエピソードを分類し直し,当時の生活の様子や,清少納言を取り巻く人間関係などの解説もさりげなく織り込みながら読み解す「超意訳」と,その状況を現代のOL生活に置き換えて見せる「<今だったらこんな感じ?>」,さらには,すっかりオトモダチ感覚の酒井順子清少納言に「タメグチ」で迫る対談(?!)まで交えて,紹介してくれる。

そこに現れるのは,三十代半ばのキャリアウーマンとしての清少納言の生々しい姿。出世欲も,追憶ばかりではない恋心も,若さに対する嫉妬も,ミーハーぶりも,千年の時空を超えて,現代女性たちの生活や想いと何ら変わるところがない。

古典を愛する正統派の方がたからは,「なんだこの言葉遣いは?」,「『枕草子』に対する冒涜だ!」とお叱りを受けるだろうが,「『枕草子』なんて学校の古典の授業で習った「春はあけぼの」以来だ,という方にはお薦めの一冊で,『枕草子』にはこんなことも書いてあるのか。」と新たな発見ができることと思う。

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繊細な切り絵満載のファンタジー

海のメルヘン―潮風の天使マリー

海のメルヘン―潮風の天使マリー

あのサンリオが作ったメルヘンである。絵本ではないし、物語は子供むけではなく、大人には少し物足りないかもしれない。

しかし、この本の特徴はその装画等、その造りの美しさであろう。

豊富なイラストは、ちょっとミュシャを思わせるものもあって、なかなかに美しい。が、最も注目すべきは、カバーと各章の扉に使われているレーザーカットの繊細な切り絵である。針で空けたような小さな切り込みもいっぱいのその切り絵のあまりの繊細さのため、製本は手作業だったという。

その部分だけを取り出して額に入れて飾ってもよいと思えるほど美しいその切り絵の素晴らしさは実物を手に取って確認していただくしかない。A5版の小さな本で、税込み2520円という価格は高いように思えるかもしれないが、それだけの価値がある、他に例を見ない1冊になっている。

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心の青空を取り戻す 「気晴らしの発見」

気晴らしの発見 (新潮文庫)

気晴らしの発見 (新潮文庫)

不眠とコレステロールの急上昇という症状が自分と同じだということと「気晴らし」という魅力的な言葉に気を惹かれて手にした1冊である。

山村修というより、日刊ゲンダイの書評を長く書き続けていた「狐」として広く知られている筆者は、職場での昇進のストレスからひどい不眠に始まるさまざまな体調不良に悩まされる。

その苦しみの中で自分に暗示をかけるようにつぶやいた「俺はだんだん癒ってゆくぞ。」という言葉が梶井基次郎の言葉であることに気づき、その作品を読み、さらに自分の不調の正体を徹底的に調べ、苦しみから抜け出すために、自己流の「演習」をさまざまに試して行く。そしてたどり着いたのは、「言葉」のやりとりこそが心をもみほぐすもみ玉だという手応えであった。

回復の手応えは青空のイメージで現れる。心の青空を取り戻す、その作業はやはり「癒し」ではなくて「気晴らし」であろう。

「気晴らし」の「演習」の中には、多くの本が登場し、読者にそれらを読んでみたいと思わせるのは、やはり司書であり書評家であった著者ならではであろう。


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定家と熊野参詣

藤原定家の熊野御幸 (角川ソフィア文庫)

藤原定家の熊野御幸 (角川ソフィア文庫)

タイトルを見てわかるように、後鳥羽上皇の熊野御幸に供奉した藤原定家の記録を追った作品であるが、熊野をテリトリーとする神坂次郎によって描かれたその旅の詳細は時空を超えて極めてリアリティーを帯び、読者もまさに苦しい熊野参詣の道連れに引き込まれる気分となる。

また、ここに登場する定家は、和歌の大御所などという優雅な身分ではなく、中将昇進の実現を夢見た追従の旅を決意した40歳で殿上人でもない二流貴族の姿であって、あくせくと御幸の先触れを務め、休む間もなく歌会に召し出される様子は悲壮感さえ漂う。

そうした勤めの中にも、寝坊をしたり休憩中にうたた寝をして置いて行かれたり、潮垢離をして風邪を引いたり、装束を間違えるといった失態を演じることもあれば、上位の人間に宿を奪われても泣き寝入りするしかない情けなさを嘆くこともあって、その姿は、うだつの上がらないサラリーマンの悲哀にも通じるものがあるだろう。定家をひとりの人間として、身近に感じられる1冊となっている。

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絢爛たる暗号

絢爛たる暗号 百人一首の謎を解く (集英社文庫)

絢爛たる暗号 百人一首の謎を解く (集英社文庫)

百人一首藤原定家の撰であることは、今ではまず動かないが、なぜあの百人なのか、なぜあの歌人の歌の中から定家はこれを採ったのか、といった疑問が常に呈され、さまざまな研究がされており、その概要はすでにここで紹介した高田崇史の「QED百人一首の呪」でもなぞることができる。
これはその一つで、推理小説的な読み方が成り立つ本なので詳細は書かないが、百首を語句のつながりで並べて行くとそこにはある風景が浮かび上がる…といった内容になっている。私を百人一首の特別な世界に引き込んだ最初の1冊である。
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誘われる「夢」の世界

リンボウ先生が読む 漱石「夢十夜」

リンボウ先生が読む 漱石「夢十夜」

リンボウ先生こと林望のラジオ番組から生まれたCDブックである。
CDには、絶妙な選曲のクラシックをBGMに、林望による夏目漱石夢十夜の朗読、そして本にはラジオ番組でのコメントが納められている。

番組の流れを辿れる本はもちろん面白い。しかし、この一冊に限っては、やっぱり魅力は朗読CDである。

漱石の作品は、とてもシュールである。その名文が名調子で朗読されると、すうっと心の深いところへ届いてしまう。静かに、穏やかに、しかし強力に漱石の文章が入り込み聴く者を夢の世界に誘う。しかし、その夢は心地よいというのとは少し違うものかもしれない。覚めてから振り返ると、急にぞうっと鳥肌が立つようなものである。そのくせ怖いもの見たさのように、またその世界に戻りたくなる、聴く者を病みつきにしてしまう魔力が秘められている。

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